所沢チャリティープロジェクトのブログです。


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南相馬へ、再び、、、


『南相馬へ、再び、、、』



9月30日(月)に、ぽっこり予定が空いたので、日曜日の営業終了後に一年ぶりに車を走らせ南相馬へと向かう。

ツナゲル2013で集まった、義援金の一部を去年届けた、ビジネスホテル六角の大留さんが代表をつとめる、六角支援隊へと届けに、、、

この団体は、仮設住宅の方々に無償でビニールハウス内とその近辺の畑を貸し出し、外に出るきっかけや人と会う機会を増やし野菜などを育てることで心のバランスをとってもらおうという試みの中、誠意活動中の方々です。(去年のblog参照してみてください。)

こちらは、去年南相馬に行ったときの動画です。

https://www.youtube.com/watch?v=bacBfcVD33o&feature=youtube_gdata_player

二本松を目指して休憩を取りながら車で移動する。

我が相棒、カーナビ君が磐越道の船引春川で降りると良いぞと囁くので従ってみた。

言われるがまま、南相馬へと目指していると、道の脇にドラム缶が3、4本は入るだろうベージュと黒の二種類のずた袋が20個ずつくらい積み上げられているのを、いたるところで見る。

道の脇には、監視カメラ作動中や除染作業中の看板がいたるところに。

今走ってる所の住所を確認すると浪江町と、、、どうやら、裏から南相馬へと行かせるつもりだ?

大丈夫かと?少し?マークが、、、

町には、住んでる人は一人もおらず、道路工事をする作業員風の方々が厚手のマスクと厚手のゴム手袋で除染作業をしていた。思ったより、軽装なのにはビックリした。

しばらく進むと、やはり、警備員の立つゲートが見えてきた。警備員の人に聞いてみる。
こっちから、南相馬へと行けますか?

関西から来たという警備員の人は、こっちの人間じゃないからわからないので、少し戻ると警察官も立ち寄る詰め所があるからそこで聞いてほしいと、、、

Uターンさせてもらい、詰め所へ

やはり、こちらからは越えられないので、349号から川俣町を抜けて12号を使い飯館村を抜けて南相馬へと行ってくださいとのこと。

途中抜けた飯館村も、人が住めない村である、信号機は作動してるが人が住んでない村、、、車は多く行き交う、なんともいえない気持ちにさせられる。

なんとか南相馬へと到着。約束の時間にまだ少しあったので道の駅で仮眠をとる。南相馬市内はかなり普段の街並みを取り戻していた。去年閉まってた商店街もかなりのお店が再開していた。
石巻にお邪魔したときもそうだったけど、街に活気があるように思えた。

時間になったので、ビジネスホテル六角さんに、大留さんがお出迎えしてくれた。いつものカウンターで珈琲を出して頂き近況報告を今年は仮設住宅の隣に田んぼ(51a)を借りてお米の栽培にも取り組んだそうです。

先日収穫して精米したお米が隣の部屋に山積みになっていた。(43俵×60キロ=2,580キロ)

最近では、南相馬市でのボランティアイベントの段取りのお手伝いや、理容や美容のチームの方々と寝たきりの方や仮設住宅の方々にシャンプーやcutのサービスをしに行ったりとしてたみたいです。

そして、去年も行った20キロ圏内へと大留さんと車を走らせた、、、

20圏内へ入るところには、ワンボックスの警察の車が、ホテルやその側のコンビニから100メートルもないところからそこには、人が住んでおらず、ホームセンターなどは外の資材はそのままの状態で閉店している店舗が建ち並ぶ。前回と少し違うのは、ぐにゃぐにゃになってたガードレールがなおされてたり、ガードレールにささってた車が撤去されているくらいだった。

奥に行けば行くほど、去年と何も変わらない風景が、、、変わったとしたら、あの頃流された車や船が大きな水溜まりの様な所に埋まってたところが、水が退いてそのかわり背丈ほどある雑草が覆い繁っていた。

そして、ゲートを抜けて10キロ圏内へと車を走らせる、路地にはお線香やお花をたむける場所があり、信号機は作動してるが人が住んでおらず、崩れた家屋はあの日を境に時間が止まっているようだった。5キロ圏内へ入るところで完全にゲートは締まり、通行止め、遠くには福島原発の建屋が見える、声がでない、、、

車の中で大留さんが、20キロ圏内は復興という言葉の上に放射能という蓋がしてあって、この蓋がとれない限りは、ここの復興は始まらないんだよ!と、、、国はまだ、ここにはなかなか手をつけてくれないんだと、、、

所々に積み上げられてる瓦礫は、ボランティアの方々が少しずつ力を貸してくれているんだよと、、、

海沿いの小学校の校庭は、大きな瓦礫置き場になっていた。

勿論、海沿いの護岸などは去年のまま、手つかずでした、、、

ここら辺の方々は、都内に比べてとても大きなお家に、3世帯で住んでた方々が多かったみたいで、隣の家とも少し離れており、ゆっくり、楽しく過ごされてたそうです。

震災後、お孫さん家族は子供の事を考え県外へ、お子さん家族はお父さんの仕事のために県外へ、残された老夫婦は、皆が帰れる所を残し育った町でと仮設住宅の選択をされた方が多いみたいです。

楽しく過ごした大きな家も、今は流され、壁の薄い4.5畳2部屋の仮設住宅に、、、

なかなか住み慣れないのが現状の様です。

東京の電気供給の為、今の生活を強いられてることに対して、やはり釈然としない所は多々あるようです。
3世帯がまた、一緒に暮らし始められてはじめて、南相馬の復興ははじまるんじゃないかなぁ?と、大留さんが言われた一言が胸に残ります、、、

一時間ほど20キロ圏内を見てまわり、鹿島の仮設住宅とそのまわりの田んぼとビニールハウスを見てまわる。田んぼは、丁度刈り取り後な感じ、畑も丁度、秋物の植え替えのころで作物は少なかったです。

ホテルに戻る前に、前回も行った、東北電力 原町火力発電所は、毎日5,000人規模の作業員を導入して、修繕にあたったと大留さんから聞きました。その隣には、会長も行ったことのある海岸が、、、海に入ってる若者たちがいました。砂が少し戻ってきたんだよと、大留さんが目を細めて言ってました。

帰り道には、前回も見た、種類ごとに別けられた瓦礫置き場とリサイクルセンター、大きなふるいのような機械で土を水で洗いながら再生したり、異物を取り除き粉砕したコンクリートは、舗装や堤防などの材料として南相馬内で使われるそうです。
少し光が見える施設でした。

ホテルに戻りカウンターに座った僕は暫しことばを発せられず、出された珈琲をただただ飲むことしかできませんでした。

若い人をはじめ、もっともっと多くの人がこの街に来てほしいなと、大留さんは言ってました。

できたお米には、少し黒い点があるのも混ざってるそうで、これは稲穂が固くなる少し前に亀虫などが養分を吸いにきてできる黒ずみだそうで、それだけ美味しいお米ができた証なんだと、少し声高にお話ししている大留さんが印象的でした。検査も通って、去年からの取り組みを見てた近くの農家さんたちも今年からやりだしたところが多いんだよと、、、

考えて躊躇してるんだったら、明日のためにやるしかないんだよね!やってダメだったら次のやり方考えるしかないんだよね!

それには、もっといっぱいの方々の支援もお願いするときもあるし、ダメかなぁ?と、思ったときに何処からかご縁があってここ2年半はなんとかなったんだから、なんとかなるんだよ!何とかするんだよ!と、、、

来年は、今の事を続けながらもう少し、個で困ってる人たちに手をさしのべていきたいと、病院までの送迎やおむつの交換や、お買い物のお手伝いなど、近くの困ってる方々を助けていきたいと言ってました。

そして、話しも一段落して大留さんに今回の義援金をお渡しいたしました。


今回、頂いた義援金は、お米の収穫などでつかった機械のリース代や梱包袋等の経費に使わさせて頂きますとのことでした。

精米したてのお米を10キロいてだき、ビジネスホテル六角さんをあとにしました。

大留さんが、バックミラーから見えなくなるまでずっとずっと手を振り続けてくれました。

途中、ラーメン好きなんですと話してたら、川俣によく行くお店後あるから時間があったら寄ってくといいよって、、、

帰りの車の中は、頭がぐるぐるしてて、休憩を取りながらゆっくりと帰りました。

色々と思うところもあるけど、やっぱりこちらの方たちは、現実をなんとか受けとめながら、それでも立ち止まってちゃいけないんだ、困ってる人がいたらそっと手をさしのべて、皆で半歩でも前に進んでいくんだ、という気持ちをいつも持ち続けて生きていらっしゃるんだと、僕の右手が必要ならばまた何かの形でそっと出してあげたい。

何が出来るか?いや、何をするか?かな?

場所にもよるが、何かはかわりはじめてて、でも、まだ、なかなか変わることの歩みが遅いところもあると感じた一日でした。

微力でしたが、皆様の気持ちをツナゲてきました。

なんだか、長々ととりとめのない文章になってしまいスミマセン、、、

でも、行ってよかったなぁ!



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会計、書記 三木渉
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by tunageru | 2013-10-05 18:42